共に生きる 最前線から/読売新聞(1996年1月9日)

最終更新: 2019年8月30日

共に生きるー最前線から

海外医療切り開く 越境する志

30数か国で治療、体験後輩に伝授


 ブラジル東部ペルナンブコ州の農村で、大田原市出身の医師国井修さん(33)(東京都葛飾区)は流行中のコレラの調査に走り回っていた。昨年九月。三十五度を超す暑さが体にこたえる。

 「ふだん飲むのは川の水ですか、井戸水ですか」

 「旅行に行きましたか」

 患者の家を一軒ずつ回って聞き取り調査した。

国井さんは東京都新宿区にある国立国際医療センターに勤務する厚生技官。海外の衛生調査などを担当する。

 「調査が目的だったので治療ができなかった。子供たちにすがるような目で見つめられてつらかった」

 医療関係者を両親に持つ国井さんは、医師、特にシュバイツァー博士にあこがれて育った。

 海外の医療活動を始めたのは自治医大の学生時代。アジア八か国の医学生で組織したアジア医学生国際連絡協議会の代表を務め、カンボジアやエチオピアの難民キャンプでボランティア活動した。

卒業後も栗山村の診療所で働く傍ら海外に飛んだ。これらの実績が認められ、昨年十月、日本青年会議所が福祉分野などで活躍した若者に贈るTOYP大賞を受賞した。

 ただ、国井さん自身は近年、こうしたNGO(非政府機関)の民間グループ主体のボランティア活動に限界を感じている。そのきっかけは内戦で揺れるソマリアにあった。

八五年、学生だった国井さんがボランティアでソマリアの難民キャンプに入った。一日に二百人もの患者を診察し、砂漠を農地にする事業に手を貸した。九三年、同じ土地を訪れて目を疑った。あれだけ苦労して作り上げた五百ヘクタール以上の農地が砂漠に戻っていた。

 「当面の患者の治療だけ考えていては駄目だ」。痛い教訓だった。

 「NGOは自由に行動できるが、空腹な人に魚をあげるだけで、魚釣りの方法を教える訳ではない。予算規模の大きいODAは、長期的視野で根本的な問題の解決に取り組める」

 ODA(政府開発援助)に基づいて動く国際医療センターに、昨年から勤め始めた理由もそこにある。

 海外での医療ボランティアは、個人の犠牲が大きい。キリスト教系の団体で活動する若井晋医師(42)(石橋町下石橋)は、「問題は帰国後の働き口。公立病院が海外援助に出た医師を、帰国後に引き受けるような制度がないと、外に出る人は増えない」と訴える。

 昨年末、外国人労働者の医療に取り組む栃木インターナショナル・ライフラインの忘年会が宇都宮で開かれた。国井さんらが九一年に発足させた団体だ。

 「海外の実情を教えてほしい」

 「今どんな勉強をしたらいいのか」

海外での医療ボランティアを希望する自治医大の後輩や通訳から、質問が相次ぐ。

 国井さんは三十数か国で医療活動に携わった自分の体験を聞かせた。「僕はずいぶん回り道をした。若い人々が無駄な努力をしないで済むように道をつけてあげたい」,淡々とした口調だった。


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